見たり読んだり思ったり

本とかドキュメンタリーとか映画とかの感想を書き残す予定です。

【本:001】荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』

◇はじめまして。このブログでは、今のところ私にとっての興味関心の対象である「教育」「環境」ジェンダーに関連する読んだ本とか、観たドキュメンタリー・映画とかの感想を書き残す予定です。本当にマイペースな人間なので、不定期の更新になるかと思いますが(速かったり遅かったりします)、お時間のあるときに読んでみてもらえると嬉しいです。

 

◇今日は、荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』(ちくま新書、2020年4月)を読んでの感想を書いてみようと思います。テーマの位置付けとしては、「教育」を考えるための前提部分になるのでは、と私は捉えています。

 

筑摩書房 障害者差別を問いなおす / 荒井 裕樹 著

 

【構成】

(1)手にしたきっかけ、読もうと思った動機

(2)興味深かったところ

 

(1)手にしたきっかけ、読もうと思った動機

◇以前に、同著者の本『車椅子の横に立つ人:障害から見つめる「生きにくさ」』(青土社 ||歴史/ドキュメント:車椅子の横に立つ人)を読んだことがあり、荒井さんというかたは「言葉」に真摯に向き合っていらっしゃるかただなと感銘を受けた(障害者文学論をご専門にされている研究者です)。他の著書も読んでみたいと思っていたところ、新書を書かれていたことを知り、読もうと思った。

 

(2)興味深かったところ

◇「障害者自身の意思を大切にせよ」

✔️障害者の「主体性」や「意思」を大切にすること。親や専門家に代弁させないこと。1970年代の障害者運動、特に「青い芝の会」は、「意思」が阻害されることを明確な「差別」だと認識していた。それは、「健全者」たちはついつい「障害者のためを思って」という理由で、「こうした方が良い」ということを障害者に押しつけてしまうけれども、「代わりにしてあげる」という発想を、横塚晃一さんたちは厳しく批判した。善意を装った「健全者」の姿勢が、結果的に、障害者から「主体性」や「自分のことを自分で考える力」を奪い、無力化していくことを肌感覚で知っていたからだ。自己主張できるか否かではなく、「主張すべき自己」とは何か、葛藤することから、障害者運動ははじまったのだ。

 

◇障害者への「優しさ」? 「思いやり」?

✔️障害者差別は、「障害者への『優しさ』や『思いやり』が足りないから」起こるのだ、と時として考えられることがあるのだが、「青い芝の会」は、そうした「優しさ」・「思いやり」といった感情自体が「差別」であり、「差別」を見えにくくしうるのだと指摘した。「健全者」に対して問題提起をおこなった。

✔️〈我々を、不幸な、恵まれない、かわいそうな立場にしているのは権力であり、今の社会であります。その社会をつくっているのは他ならぬ「健全者」つまりあなた方一人一人なのです〉(横塚晃一『母よ!殺すな』より)

 

◇著者の「マジョリティ」・「マイノリティ」理解

✔️これは障害者差別に限った話ではないが、著者の荒井さんは、「マジョリティ」・「マイノリティ」という言葉について、次のように考えている。

✔️つまり「マジョリティ」とは、「葛藤を伴うことなく、自分のことを『大きい主語』で語れる人」であり、「日本(人)」・「社会(人)」などのような言葉で自分を指し示すことに違和感を覚えず、また他人からの異議申し立てを受けずに済む人であり、社会の中で「自分とは何者であるか」・「なぜ自分がここにいるのか」を説明する必要がなく、何らかの社会問題が生じた際にも、切実な当事者意識をもたずにやり過ごすことができる人である、と。具体的には、例えば「障害者差別」という場面においては、その解決のアプローチとして「社会が成熟しなければ~」・「国が責任をもって福祉を整備しなければ~」・「人間の本質として~」と思考しがちな人を指す。

✔️一方「マイノリティ」とは、自分自身に関わる「小さな主語」で語ることを求められる。つまり、「差別についてどう思うか?」という問いは、マイノリティからすれば、買い物に行く、学校に行く、部屋を借りる、誰かを好きになる、などの暮らしの至るところで「他ならぬこの私」に降りかかってくる問題である。

✔️自分自身の「語り」に着目することは、自分がどこにいるのかを知るきっかけになるだろうと私は思った。

 

◇「障害者差別」を考える際の、社会における語彙の少なさ

✔️「性差別」がなくなったかどうかはともかく、「性差別」を批判する言葉は、近年増えてきた。「セクハラ」・「マタハラ」・「#MeToo」・「LGBTQ」など。批判する言葉が増えた背景には、そうした差別や暴力を乗り越えて、多様性のある社会を求める人が存在したということを忘れるべきではない。

✔️一方「障害者差別」においては、著者の理解では、言葉のバリエーションが増えていない。というか、「障害は個性」とか「みんな違ってみんないい」といった言葉はあるけれども、それは「障害者と仲良くするための言葉」であり、「障害者差別をなくすための闘う言葉」ではない。「障害者差別」を言い表す言葉も、もっと多様に細分化されてよいはずだ。しかし、現状、私たちはそのような言葉を持ち合わせていない。

✔️ある差別について語る言葉がないことは、その社会に差別が存在しないことを意味しない。むしろ、差別に対して鈍感であることを意味している。

 

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